前日荻窪ブンガでの「プーさんとゆかいな仲間たち」ライブでのひとこです。Minaさんを突然呼び入れて、なかば強制的に歌ってもらいました。
彼女が歌うとこの歌は悲しい歌にならない。ちゃんと夢と希望がある。
歌い手が色メガネで白い花をみたり、何かを諦めた瞬間にこの歌は悲しい歌になるにちがいない。
バンドじゃなく弾き語りで歌った時、激しい抗議の手紙を頂いた。
「なにも知らない貴方にこの歌を歌う資格なんてない!貴方の理想だけで作られたこの歌を聞いて苦しむ人がどれだけいるか、貴方は知るべきだ!何も手を汚さず、貴方は守られた側に立つ人。貴方こそ権力その者だ。私はこの歌が大嫌いです。穏やかに毎日が見れなくなります。貴方は私と入れ替わって暮らせますか?貴方は決して今手にした自由を手放せない。貴方に歌う資格なんてありません。」
この後も文は続いてました。
僕は今思います。
自分の色メガネと自分の諦め。それを持っていたにちがいないと。
今も現実的にある問題を綺麗なおとぎ話にしてしまってたのではと。

戦争の悲惨さを描く前に、戦争の影の部分を美化したような映画や本と同じように、この問題を利用していただけじゃないかと

戦争によって産まれた芸術作品(絵画)、まるで、戦争という状況が書かせたかのような言い方をされる、あの頃の作品。
戦争によって書かされたのではない。
戦争が無くても、いい作品を作れる人は作っていたはず。戦争がなければ、もっといい作品が産まれたはず。

戦争やこの歌のような問題を利用してはならない。
強く思ったのです。

Minaさんの歌声、子供に語りかけるように、丁寧に丁寧に伝えてくれる。
作った僕よりも理解し、「ほらね。同じ花になれるでしょ」といってくれているように聞こえます。

https://youtu.be/6AYvr9C0WtY