友人からの電話でゆっくり、ゆっくり、気がついていく。僕の中で腑に落ちなかったことが形となって見えてくる。流石に精神カウンセラーを仕事としてる友人。ありがたい。

おおよそ解っていたこと、予想できたいたこと、抱いていた違和感。
認めたくなかったから、苦しんでたんだなぁー。

時がたち、そんな事が表面化してくると「結局そうだったのね」と納得せざるおえないから、どんどん抱いていた物が崩れて、納得がいくんだよね。

自分に問いかける。自分も同じ姿になってないかな。自分がのしあがるためなら、他人の心も命も平和も愛も利用する。そんな人間になってないかな。

僕のメインの仕事は裏方。裏方は最後まで裏方。それが格好いいよね。亡き妻がよく言ってた。
その点では徹底してた彼女のやり方を今思い出す。

「表現者はね、自分の中にあるものとちゃんと戦って、見つめて、自分の中の物を表に出さないとダメだよ」「いろんな材料を回りに散らばねての、副産物表現はそれは陳腐。それだけの物なの」「だから今はやめた方がいい。透けて見えるから」

あーぁ。透けて見えちゃった。
最終的な目的は自分を認めさせる、自分が評価され、崇められたいだけだったのか。
平和も愛も芸術も命も人の真面目な想いも、全てその為のアイテム、材料だったのね。

ありがとう。
これで納得いきました。
少しだけお手伝いできたような気がします。

これからの自分の歩き方に、ちゃんと釘がさせます。