「痛い」「辛い」「嬉しい」「悲しい」言葉は一杯ある。
自分の心を表に出すときにどれも当てはまらない。どの言葉を使っても違和感だけが残る。
言葉だけを信じてたら、裏切られる事の方が多いのではと思う時がある。
ある詩人(友人)が、そんな時は転がる石を見る事にしてる。なんて言ってた。
綺麗に咲く花でもなく。流れる雲でもなく。夕暮れを彩る空のパレットでもなく。ただ、そこに転がる石を見るそうだ。
この石は何処で産まれ。いつ砕かれ、何処に流され、角をとられ、ここにただ転がってるのかを考えるそうだ。

ありったけの知識と言葉で石を見つめる心を探るらしい。

結局の所、心も言葉によって制御されてる事に気がつくらしい。

言葉を越えた心は時折、危険といわれたり、医学で分類されたりする。

そこにある石を見つめる自分の姿をそのまま出すことが、言葉を越えることなのかもしれません。

そしてそれを受けとる側はまた言葉に整理して考える。

柔らかな壁を作りたい。そうオーダーしたら柔らかな壁その物の存在を否定して考える事もあるらしい。

でも世の中にはこんな矛盾したような物はたくさんある。
人の心の中は矛盾だらけかも知れない。
一つ一つ言葉に整理して表に出せないから、。。。

今日も明日も考えるよ。自然と言葉を使ってね。

言えないことは勇気のないことかい。
言葉だけが信じる証しかい。
永遠なんて、時には五分で消えちまう。