無事に終了。これも本当にこんな集会に毎回集まってくださる皆様あっての事。感謝で一杯です。
そしてvol.1は2011年3月。思い出す事一杯です。毎回毎回楽しい連中が集まる。仕事終わって駆けつける。ライブが終わってすぐに仕事に戻る。そんな事も当たり前のようにこなすメンバー達。
「遅刻。遅刻」といいながら、最後の10分間のために駆けつけてくれたりするお客様。支えられてますね。
この会のことを委員長と相談したのは3月15日。そして約10日後に第一回目。決断と実行力の早さにビックリしたものです。
 半チャリティー。というあやふやなシステム。チャリティー的な事を前面に出さない。最初の頃そのことにも注意した。
 集まって楽しんでくださるお客様。メンバー。
それとは相反して厳しいご意見もよせられた事を思い出す。
  「あんな事やってても意味無いんだよ」
 「雑音だねーーー。邪魔だよ。」と言われた時は何だかきつかったなぁぁぁ。
僕の耳にさえこんなご意見が入ってくるのだから、委員長の耳にはもっとすごいご意見が入っていたのではと今更ながらに想像するのです。
 でも委員長はそんなことは何も言わない。毎回楽しい時間を過ごす事に全力で取り組む。本当に勇気づけられた。
ほぼ一年間が過ぎた頃から徐々に、そのチャリティーで寄せられたお金をつかわせてもらう事になる。
これもとても難しかったです。預かった物をどう使うか。目に見える形にするのか、はたまた、そうでない形にするのか。連日真面目に話し合った事も思い出す。
  とにかく僕らは現状を知らない。忙しさにかまけて足を踏み入れてない。あの厳しいご意見をよせてくださった方の顔が浮かぶ。
 最初は信頼できるチームの移動用のバスをチャーターするのに使ったり、ボランティアの人たちが必要としている備品を購入したりしてた。
 それからまた月日が流れ。「実際に現地に行くのはどうでしょう。」自然と湧いて来た思いです。
それいいねぇぇぇ。いつも簡単にそう思うメンバーたち。そして委員長。
 それを実現するには一杯のハードルが目の前に続いたのだ。現地を知らない事。何が必要で、何が迷惑なのか。現実的にこのスケジュールの中で足を運べるのか。
 いざそう思って行動しだすとそんな僕らに手を貸してくれる人が現れた。僕らのチャターしたバスに乗って現地に行き現地に暮らしボランティアをしてた人からの手紙です。
 その手紙には現実に起きている子供たちの状況が書いてありました。必要な物と不必要な物も書いてありました。それは僕らが知っている物とは全く違った。
 手紙をよんで、「これなら俺たちできるねぇぇ」また事はいかにも簡単なように進みだしたのだ。
それから石巻への準備がはじまる。石巻を終えてからまた反省会がスタート。始めての旅は衝撃すぎて頭を下げざるおえなかった。それからまた反省会。
 そんな日々を送っているとまた突然僕らに手を差し伸べてくれ人物がいたのです。
その頃はいわきのアリオスに勤務しておられたTさん。
 僕が喫煙所で休憩してた時に立ち話のように、このフォーク集会の話をしただけなのに、その2日後彼から届いたメールが凄かった。
 いわきの子供たちの事、実際に目で観て欲しい現実の事。そして「明大前フォーク集会」を支え協力してくけるメンバーを集めた事。2日間で彼はそれをやって連絡して来てくれたのです。
 それからはいわきのそのチームの代表Hさんと密に連絡をとりあった。
いわきでのあの経験がなければ、あのチームの協力がなければ、今も続けられている保育所訪問は実現していない。
  現地との皆さんとのやりとり。現地を知る事。代表のHさんは優しく指導してくれた。OneDropofficeのMさんも全力でこの活動に参加してくれた。僕らだけではできない細部に注意をはらい、現地とのやり取りを進めてくれた。そのネットワークはいわきから釜石へと続いていったのです。そして今年の大船渡。
  50回。僕らは楽しい夜を皆さんからいただいた。楽しい事の力を僕らは身体で体験した。そしてそこに「雑音」と言われればそうかもしれない、つたない演奏かもしれないけれど、確かに音楽があった事を昨日ようやく確認できたのです。
 50回までに関わってくださった人たちは1800人を越えています。1回は少ないかもしれない、確かにその1回だけをみれば「意味ないんだよねぇぇぇ」といいたくもなるでしょう。
100回目の時「これって楽しかったね。意味なかったね」って笑い飛ばせるくらい、あの訪れた街が幸せになってればいいと思います。参加してくださった皆様はそれくらいの覚悟で臨んでいるのです。
50フォーク