寿命が伸びた。いつまでも生きてる。先の時間が長すぎる。自分も含め、こんな歳になってもまだまだ幼稚だよ。
12月1日から始まる公演で、僕は66歳の男を演じる。実際の年齢よりも年上なのです。
そこで自分の未来を見つめてみる。
今のままでいたいなどと幼稚な思いがよぎる。

全ては幼稚なのです。

大好きな歌たちの詩を読み返してみる。ほとんどが20代に書かれたものだ。
自分も同じ多感だったあの頃、心がささくれだった頃、硝子の破片が一杯の道を歩いてた頃。空からは残酷な程の恐怖と孤独が降り注いでた。言葉は日々の暮らしのなかで生まれ、メロディーは心のままに奏でられていたあの頃。
その大好きな歌たちに助けられた。あの頃は少し大人びてたのかもしれない。と勘違いだ。
自分の不甲斐なさ、帰る場所を自ら捨てて、頼るものは、身内よりも、近くの他人。自分で歩く事にこだわった。多くの人に迷惑かけて。明日、生きるためのお金を手にいれるのに必死だった。
夢を語れば現実は遠退き、生きる現実からは夢を語って逃げて。あの頃も十分に幼稚なのだ。

でも、あの頃大好きだったあの曲を、その人は今も歌いつづけてる。
歳を重ねても答なんて出て来ない。
その姿は決して幼稚ではない。あの頃感じた事を見つめて見つめて。
やっぱり答なんて出て来ない。

そして、今の自分も答なんて見つけ出せない。
やっぱり、あの頃と同じようにもがいてるよ。
でも、今の自分は幼稚にみえる。

こんな事を言ってることじたいが幼稚なのか。

回りの若者は僕なんかよりも答をしってるようだ。

「そんなの無駄ですよ。楽な方に流れればいいんじゃない。」

全てを悟ったような忠告をしてくれそうだ。
自分の足で歩いてもいないのに。

言葉も思考も、軽く、宙を舞う。